ネヴィル・チェンバレン
Arthur Neville Chamberlain(1869-1940)
イギリスの政治家
第60代イギリス首相
バーミンガム出身。実業界を経て市政に携わり、1918年に保守党の下院議員となる。第一次大戦後、郵政相、保健相を務め、世界恐慌下では蔵相として保護関税政策などを採用。37年に首相となると、対外拡張を進めるドイツやイタリアに宥和政策で対応し、38年のミュンヘン会談でチェコスロヴァキアのズデーテン地方のドイツ編入を認める。しかし翌年のポーランド侵攻を受け、対独宣戦布告をして第二次大戦が勃発。緒戦の失敗を非難され辞任した。
今朝、ベルリン駐在のイギリス大使はドイツ政府に最後通牒を渡しました。その内容は「11時までにポーランドからドイツ軍を撤退する旨を通告しなければ、英独両国は戦争状態に入る」というものです。申し上げなければならないのは、そのような(ドイツ軍撤退の)回答を未だ受け取っておらず、その結果、我が国はドイツと戦争する事になりました。私の長年の平和への努力が水泡に帰し、痛恨の極みであります。
1939年9月3日 午前11時15分
ラジオ放送による対独宣戦布告(抜粋)
関連人物
- ジョゼフ・チェンバレン(政治家):父。植民地相として帝国主義政策を推進。
- オースティン・チェンバレン(政治家):異母兄。ロカルノ体制時の外相。
- ボールドウィン(イギリス首相):チェンバレンが入閣。
- マクドナルド(イギリス首相):チェンバレンが入閣。
- チャーチル(イギリス首相):後任。対独強硬策を掲げ、チェンバレンの宥和策を非難。
- イーデン(外相):チェンバレンの対伊宥和政策に抗議して辞任。
- ダラディエ(フランス首相):チェンバレンと共にズデーテンのドイツ編入を容認。
- ヒトラー(ドイツ総統):英仏の宥和政策に乗じ、東欧への領土拡張を強行。
- ムッソリーニ(イタリア首相):ドイツの行動に刺激され、アルバニア併合を強行。
- ベネシュ(チェコスロヴァキア大統領):ミュンヘン協定の成立でロンドンへ亡命。