大塩平八郎
おおしおへいはちろう(1793-1837)
江戸後期の幕臣・陽明学者
大坂町奉行所組与力
大坂天満出身。父を継いで14歳で町奉行所に出仕。キリシタンや破戒僧、腐敗役人の摘発など辣腕を振るう。上司の転任と共に38歳で致仕し、自宅に開いた私塾「洗心洞」で陽明学を指導。1836年、折からの飢饉に際して救済策を上申するが拒否され、翌37年、役人や豪商など既得権層を誅伐すべく門弟や農民を募って武装蜂起する。しかし半日で鎮圧されて逃亡、一月後に市中の潜伏先を幕吏に包囲されると、火を放って自害した(大塩平八郎の乱)。
…この度の一挙は、日本の平将門や明智光秀、中国の劉裕や朱全忠の謀反に類していると申すのも道理であるが、我ら一同、心中に天下国家を狙い盗もうとする欲念より起こした事ではない。それは詰まるところは殷の湯王、周の武王、漢の高祖、明の太祖が天誅を執行したその誠以外の何物でもないのである。もし疑わしく思うなら、我らの所業の終始を人々は眼を開いて看視せよ。ここに天命を奉じ天誅を致すものである。
近隣農民に宛てた檄文(抜粋)
関連人物
- 高井実徳(大坂東町奉行):上司。大塩の理解者。
- 水野忠邦(老中):自身の不正発覚を恐れ、浜松の配下に証拠隠滅を指示。
- 跡部良弼(大坂東町奉行):忠邦の弟。飢饉の打開策を講じず、乱を招いた。
- 土井利位(古河藩主):大坂城代として、大塩の乱を鎮圧。
- 鷹見泉石(古河藩家老):乱の際、大塩父子の召し捕りを指揮した。
- 王陽明(思想家):陽明学の祖。
- 頼山陽(歴史家):交流。大塩の学識を讃えて「小陽明」と評した。
- 佐藤一斎(儒学者):書簡を通じて交流。
- 生田万(国学者):大塩に呼応して越後柏崎で反乱を起こした。
- 森鴎外(小説家):小説「大塩平八郎」を執筆。
参考資料
- 大塩平八郎像(大阪歴史博物館蔵)