千利休 / 千宗易
せんのりきゅう / せんのそうえき(1522-1591)
安土桃山時代の茶人
大坂堺出身。本姓は田中氏。武野紹鴎らに茶の湯を学び、茶人としての才能を示す。のち上洛した織田信長に津田宗及・今井宗久と共に茶頭として取立てられた。信長没後は豊臣秀吉に仕え、禁中茶会や北野大茶会などを後見して天下一の名声を築く一方、側近政治にも関与する。しかし突如として秀吉の勘気に触れ、切腹を命じられた(理由は不明)。草庵茶室を編み出し、朝鮮茶碗や日常雑器を導入するなど、簡素な茶の湯「わび茶」の大成を目指した。
関連人物
- 武野紹鴎(茶人):師。
- 織田信長(尾張の大名):堺を直轄地とした際に茶頭として採用。
- 豊臣秀吉(天下人):秀吉を茶頭・側近として重用。
- 正親町天皇(第106代天皇):禁中茶会の折に「利休」号を下賜した。
- 津田宗及(茶人):交流。
- 今井宗久(茶人):交流。
- 山上宗二(茶人):高弟。秀吉の勘気に触れて斬刑に処せられた。
- 古田織部(豊臣家家臣):門弟。
- 細川忠興(豊臣家家臣):門弟。
- 織田有楽(豊臣家家臣):門弟。
参考資料
- 長谷川等伯:「利休居士像」(不審庵蔵)
(2012/08/23 改作)