タウンゼント・ハリス
Townsend Harris(1804-1878)
アメリカの実業家・外交官
初代駐日アメリカ合衆国総領事・公使
ニューヨーク州出身。家業の陶磁器輸入業を助けながら苦学し、市の教育委員として教育事業などに携わる。のち貿易業に転じて太平洋を渡り、インドシナや清国方面で活動。日米和親条約を受けて初代駐日総領事に任命され、1856年に伊豆下田へ来航。幕府との執拗な交渉の結果、翌57年に下田条約、58年に日米修好通商条約を締結させ、公使に昇任して江戸麻布の善福寺を公使館とした。62年、病気を理由に帰国、公職から退いて余生を送った。
日本人は清潔な国民である。誰でも毎日沐浴する。職人、日雇いの労働者、あらゆる男女、老若は、自分の労働を終わってから、毎日入浴する。下田にはたくさんの公衆浴場がある。料金は銭六文、すなわち一セントの八分の一である。富裕な人々は、自宅に湯殿をもっているが、労働階級は全部、男女、老若とも同じ浴室に入り、全裸になって身体を洗う。私は何事にも間違いのない国民が、どうしてこのように品の悪いことをするのか、判断に苦しんでいる。
「日本滞在記」
関連人物
- ペリー(海軍軍人):1853年に初来日し、翌54年に日米和親条約を締結。
- ピアース(第14代大統領):ハリスを初代駐日領事に任命。
- ヒュースケン(外交官):秘書兼通訳。駐在中に攘夷派に暗殺された。
- 孝明天皇(第121代天皇):条約締結の勅許を拒否。
- 徳川家定(第13代将軍):江戸城でハリスを引見。
- 堀田正睦(老中):条約調印のため上洛して勅許を得ようとするが挫折。
- 井伊直弼(大老):無勅許で条約に調印し、強権をもって反対派を弾圧。
- 井上清直(幕臣):下田奉行として、ハリスとの交渉に奔走。
- 岩瀬忠震(幕臣):井上との連名で日米修好通商条約に調印。
- 斎藤きち(芸者):下田奉行の命でハリスの侍妾となり、世間から蔑視された。