藤原定家
ふじわらのさだいえ / ふじわらのていか(1162-1241)
鎌倉初期の歌人・公卿
藤原俊成の次男。父の影響で歌作に執心し、九条家歌壇で研鑽を積む。やがて後鳥羽上皇に見出されて「新古今和歌集」の撰者となり、余情妖艶の歌風「有心体」を確立した。承久の乱後は「源氏物語」などの古典の書写・研究を行い、晩年は「新勅撰和歌集」「小倉百人一首」(原形)の編纂にも寄与。中世最高の歌人と評される。
来ぬ人を まつほの浦の 夕凪に 焼くや藻塩の 身も焦がれつつ
「新勅撰和歌集」
小倉百人一首・第97番
関連人物
- 藤原俊成(歌人):父。
- 後鳥羽上皇(第82代天皇):「新古今和歌集」の編纂を勅命。
- 順徳天皇(第84代天皇):定家に師事。
- 土御門通親(公卿):政治的に対立。
- 九条兼実(公卿):庇護者。
- 慈円(天台座主):親交。
- 藤原家隆(歌人):親交。後鳥羽院歌壇の双璧と評価される。
- 寂蓮(僧・歌人):従兄。「新古今和歌集」の撰者の一人。
- 西行(僧・歌人):歌合を通じて交流。
- 源実朝(第3代将軍):定家に歌の評を求め、「近代秀歌」を贈られた。
参考資料
- 伝藤原信実:藤原定家像
参考リンク
- 藤原定家の歌(やまとうた)