一遍
いっぺん(1239-1289)
鎌倉中期の僧
時宗開祖
伊予河野氏の出身。10歳で出家し、浄土宗西山派で修行をする。のち還俗して妻帯するが、一族の所領争いを疎んで再出家し、信濃善光寺で阿弥陀信仰を感得。36歳の時に紀伊熊野権現へ参籠して神託を受けると、「南無阿弥陀仏・決定往生六十万人」と記した札を人々に配り(賦算)、踊り念仏を唱えながらの諸国遊行を開始。行く先々で民衆の支持を集め、兵庫和田岬にて往生を遂げた。臨終の際に一切の書物を焼却したため、著作は残っていない。
身を観ずれば水の泡 消ぬる後は人もなし
命を思へば月の影 出で入る息にぞ留まらぬ「別願和讃」
関連人物
- 河野通信(伊予の武将):祖父。承久の乱で朝廷方につき陸奥へ流された。
- 聖達(浄土宗の僧):師。西山派・証空の弟子。
- 空也(天台宗の僧):一遍に影響を与えた。
- 心地覚心(臨済宗の僧):一遍が参禅した。
- 北条時宗(第8代執権):鎌倉へ入ろうとした一遍一行を阻止した。
- 聖戒(時衆):弟または甥。「一遍上人絵伝」編者。
- 他阿(時衆):門弟。一遍没後に解散した時衆を再結成させた。
参考資料
- 一遍上人像(清浄光寺蔵)