柿本人麻呂
かきのもとのひとまろ
飛鳥時代の官人・歌人
生没年・出自・経歴などは不詳。孝昭天皇を祖とする和邇氏の支流。制作年が判明している歌は689年から700年のもので、その内容から天武朝から持統朝を中心に活動し、晩年は筑紫や讃岐へ下って石見国に没したとされる。「万葉集」最大の歌人として、讃歌・挽歌・恋歌など少なくとも80首以上が掲載。その歌風は枕詞・序詞・比喩・対句など修辞を凝らし、格調高く雄渾な表現で名高い。後世に山部赤人と並んで「歌聖」と仰がれ、神格化された。
あしびきの 山鳥の尾の しだり尾の ながながし夜を ひとりかも寝む
雌雄が峰を隔てて別々に寝るという
ヤマドリの長く垂れ下がった尾のように、
長い長い夜を、私は独り寂しく寝るのだろうな。「万葉集」
小倉百人一首・第3番
関連人物
- 天武天皇(第40代天皇):人麻呂が出仕したとされる。
- 持統天皇(第41代天皇):行幸に際し、人麻呂が歌を奉じた。
- 草壁皇子(天武天皇の皇子):薨去に際し、人麻呂が挽歌を献じた。
- 高市皇子(天武天皇の皇子):薨去に際し、人麻呂が挽歌を献じた。
- 軽皇子(後の文武天皇):安騎での遊猟に際し、人麻呂が歌を献じた
- 明日香皇女(天智天皇の皇女):薨去に際し、人麻呂が挽歌を献じた。
- 山部赤人(歌人):人麻呂と共に「歌聖」と仰がれた。
- 大伴家持(歌人):人麻呂・赤人らの伝統を継承。
- 紀貫之(歌人):「古今集」仮名序で、人麻呂を「うたのひじり」と讃えた。
- 賀茂真淵(国学者・歌人):人麻呂を研究。
参考資料
- 松平定信編:「集古十種」より
参考リンク
- 柿本人麻呂の歌(やまとうた)