幸田露伴
こうだろはん(1867-1947)
明治時代~昭和初期の小説家
江戸下谷出身。電信修技学校卒業後、北海道余市の電信局に赴任。のち文学を志して帰京、1889年発表の「露団々」でデビューする。次いで「風流仏」「五重塔」で理想主義の作家として文名を高め、写実主義の尾崎紅葉と並んで紅露時代と称された。日露戦争後は文壇の自然主義とは一線を画し、活動の主軸を史伝や随筆、考証に移す。老荘・儒仏などの東洋哲学、古典文学への幅広い教養を活かし、「運命」「連環記」「芭蕉七部集」などを残した。
こうだろはん(1867-1947)
明治時代~昭和初期の小説家
江戸下谷出身。電信修技学校卒業後、北海道余市の電信局に赴任。のち文学を志して帰京、1889年発表の「露団々」でデビューする。次いで「風流仏」「五重塔」で理想主義の作家として文名を高め、写実主義の尾崎紅葉と並んで紅露時代と称された。日露戦争後は文壇の自然主義とは一線を画し、活動の主軸を史伝や随筆、考証に移す。老荘・儒仏などの東洋哲学、古典文学への幅広い教養を活かし、「運命」「連環記」「芭蕉七部集」などを残した。