平将門
たいらのまさかど
(?-940)
平安時代中期の豪族・武将
自称「新皇」
下総国出身。若い頃に上京して藤原忠平に仕えるが、官職を得られず帰郷。のち領地や女性を巡って一族に争いが起き、叔父国香を討つ。やがて坂東一帯に勢力を広げ、国司と豪族間の調停役に立った。939年、常陸国の紛争に介入して国府を襲撃し、朝廷への反乱と見なされると、下野・上野の国府も次々と攻略。坂東八ヶ国を占領し、「新皇」と称して独自の除目を行うが、平貞盛・藤原秀郷の連合軍と合戦になり、本拠猿島であえなく討死した。
この将門、いやしくも坂東で武名を上げ、その戦ぶりは京都畿内にも轟いている。今の世は、戦いに勝つ者が君主になるのだ。さる延長年間には大契丹王(耶律阿保機)が渤海国を討ち、新たに東丹国を建てたではないか。どうして力無くして支配などが出来ようか。我が軍の士気は、漢の高祖の軍をも凌ぐ勢いである。八ヶ国を領する間に朝廷軍が攻めきたれば、足柄関と碓氷関を固め、この坂東を防御せよ。
「将門記」
天慶2年(939)12月19日
「新皇」即位式にて
関連人物
- 平良将(鎮守府将軍):父。下総豊田を本拠に勢力を築いた。
- 平国香(常陸大掾):伯父。良将の遺領を巡って将門と抗争して敗死。
- 平良兼(上総介):伯父。源護の娘を巡る対立を機に将門と抗争する。
- 興世王(武蔵権守):任地を離れて将門の側近となり、「新皇」号を奉呈。
- 源経基(武蔵介):紛争の仲裁をした将門を謀反人として朝廷へ訴えた。
- 藤原玄明(常陸の豪族):国司への反発を繰り返し、将門に庇護を求めた。
- 藤原玄茂(常陸の豪族):将門の下で常陸介となり、将門軍の後陣を務めた。
- 藤原忠平(朱雀天皇の摂政):旧主。将門の坂東占領を受け、追討官符を発給。
- 藤原忠文(征東大将軍):将門追討軍の総大将。ただし到着前に将門は討死。
- 藤原秀郷(下野押領使):平貞盛に味方して将門を追討。
- 平貞盛(常陸大掾):従兄(国香の子)。秀郷と共に将門を征討した。
- 藤原純友(伊予掾):同時期に瀬戸内海で反乱を起こした。
参考資料
- 平将門像(神田神社蔵)
(2012/02/17 改作)