高橋是清
たかはしこれきよ(1854-1936)
明治時代~昭和初期の財政家・政治家
第20代内閣総理大臣
江戸芝出身。旧姓は川村。仙台藩の留学生として渡米後、英語教師や通訳などを経て農商務省に出仕。のち日本銀行に入行し、1911年に総裁に就任。第1次山本内閣で蔵相として入閣、立憲政友会に参加し、原敬の後継として組閣するが党内対立により半年で退陣。その後も各内閣で蔵相を務め、金融恐慌に際しモラトリアムや金輸出再禁止などの財政政策を断行する。しかし岡田内閣で軍事予算の削減を図った事が軍部に恨まれ、二・二六事件で暗殺された。
国防というものは攻め込まれないように、守るに足るだけでいいのだ。
だいたい軍部は常識に欠けている。
その常識を欠いた幹部が政治にまでクチバシを入れるというのは
言語道断、国家の災いというべきである。1935年11月、来年度予算編成時の発言