徳川秀忠
とくがわひでただ
(1579-1632)
安土桃山時代~江戸時代初期の武将
江戸幕府第2代将軍
徳川家康の三男。関ヶ原の戦いでは、進軍中に信濃上田城で足止めされ本戦に遅参する失態を演じた。1605年に将軍職を継承し、駿府へ移った大御所家康との二元体制を敷く。大坂の陣にも父子で参戦、豊臣家滅亡後は武家諸法度・禁中並公家諸法度などの制定に務めた。家康没後に将軍親政を始め、福島正則ら有力外様大名を改易させるなど大名統制を強化。1623年に将軍職を子家光に譲ると父同様に大御所政治を行い、幕藩体制の基礎を固めた。
関連人物
- 徳川家康(江戸幕府初代将軍):父。
- 結城秀康(初代福井藩主):異母兄。
- 松平忠吉(清洲藩主):実弟。
- 崇源院(将軍御台所):継室。浅井長政の三女・江。
- 千姫(将軍家子女):長女。豊臣秀頼に嫁ぎ、豊臣家滅亡後は本多家へ再嫁。
- 徳川家光(第3代将軍):嫡男。
- 保科正之(初代会津藩主):四男。
- 徳川和子(将軍家子女):五女。朝廷対策の一環として後水尾天皇へ入内。
- 本多正純(年寄):家康時代からの宿老。後に疎まれて失脚。
- 土井利勝(老中):側近。酒井忠世らと共に将軍秀忠を補佐。
- 真田昌幸(信濃の大名):上田城で関ヶ原を目指す秀忠軍を阻止。
- 福島正則(外様大名):広島城改修を咎められ、大幅減封された。
参考資料
- 徳川秀忠像(松平西福寺蔵)
(2017/08/23 改作)