藤原頼通の似顔絵

藤原頼通,宇治関白のイラスト

藤原頼通

ふじわらのよりみち(992-1074)
平安中期の公卿・歌人

藤原道長の嫡男。15歳で公卿に列し、26歳にして父から後一条天皇の摂政を譲られ、その後見を受ける。以降、後朱雀・後冷泉と3代50年にわたって摂政・関白を務め、荘園整理などを進めた。また歌壇の後援者として多くの歌合を開催。しかし入内させた二人の娘に皇子が生まれず、外戚関係の疎遠な後三条天皇の即位により、その影響力は翳りが見え始める。末法思想の影響を受け、1052年に宇治の別荘を平等院として改築し、晩年はここに隠棲した。

関連人物

  • 藤原道長(公卿):父。出家後も朝政の実権を握り、若い頼通を後見した。
  • 藤原彰子(一条天皇の皇后):実姉。後一条・後朱雀天皇の生母上東門院。
  • 藤原教通(公卿):実弟。後任の関白。晩年に摂関の継承を巡って確執を抱えた。
  • 藤原能信(公卿):異母弟。頼通に対抗し、尊仁親王(後三条天皇)の後見人となる。
  • 藤原師実(公卿):子。他家の養子となる予定だったが、嫡男の早世で後継となる。
  • 後一条天皇(第68代天皇):甥。妹威子が入内したものの男子に恵まれず早世。
  • 後朱雀天皇(第69代天皇):甥。妹嬉子が入内し、後の後冷泉天皇の生母となる。
  • 後冷泉天皇(第70代天皇):甥。娘寛子が入内したものの男子に恵まれず崩御。
  • 後三条天皇(第71代天皇):母が藤原氏ではないため、摂関家を抑えて親政を志向。
  • 平忠常(下総の豪族):教通の元家人。房総半島で勢力を築き、反乱を起こした。

参考リンク

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