ハリー・S・トルーマン
Harry S. Truman
(1884-1972)
アメリカの政治家
アメリカ合衆国第33代大統領
ミズーリ州出身。高校卒業後、第一次大戦に従軍。のち政界に入り、民主党上院議員としてルーズベルト政権を支持、1945年4月の大統領の急死に伴い副大統領から昇格する。第二次大戦末期のポツダム会談を経て、日本への原爆投下を命令、終戦を指導した。戦後はソ連の東欧圏進出に際し、対共産圏封じ込め政策「トルーマン・ドクトリン」を宣言。2期目では前政権を継承するフェアディール政策を掲げたほか、朝鮮戦争にも介入、52年に引退した。
世界史の現時点においては、ほぼ全ての国が二つの生活様式のうちいずれかを選ばなければならない。…一方は多数者の意志に基づくもので、自由な諸制度、代議制、自由選挙、個人の自由の保障、言論と宗教の自由、そして政治的抑圧からの自由によって特徴付けられる。もう一つは、多数者に対して強引に押し付けられる、少数者の意志に基づく。それは恐怖と抑圧、報道規制された新聞やラジオ、八百長選挙、個人の自由の圧迫などに依拠している。武装した少数者あるいは外部の圧力による征服の企てに抵抗している自由国民を支援する事こそ、合衆国の政策でなければならない、と私は信ずる。
1947年3月12日
特別教書演説「トルーマン・ドクトリン」
関連人物
- F.ルーズベルト(第32代大統領):米ソ共存の戦後構想を図っていたが急死。
- バーンズ(国務長官):対日強硬派。日本に無条件降伏を求めるよう進言。
- グルー(国務次官):知日派。日本の本土決戦回避に尽力。
- マーシャル(国務長官):終戦後にヨーロッパ復興援助計画を発表。
- アチソン(国務長官):北大西洋条約機構の結成に尽力。
- チャーチル(イギリス首相):ポツダム会談で戦後処理を協議。
- アトリー(イギリス首相):チャーチルの後任としてポツダム会談に参加。
- スターリン(ソ連最高指導者):ポツダム会談に参加したが宣言には無署名。
- 蒋介石(中華民国総統):ポツダム会談に不参加のまま宣言には代署。
- 鈴木貫太郎(日本国首相):原爆投下とソ連参戦を受け、ポツダム宣言を受諾。
- マッカーサー(国連軍総司令官):朝鮮戦争で対中強硬策を主張して解任された。
- マッカーシー(共和党上院議員):民主党の対中政策失敗に乗じて赤狩りを主導。
(2017/12/10 改作)