今川貞世 / 今川了俊
いまがわさだよ / いまがわりょうしゅん
(1326-1414?)
南北朝時代~室町時代前期の武将・歌人・守護大名
室町幕府九州探題
今川範国の子。幕府の侍所頭人や引付頭人などを務め、将軍足利義詮の死去を機に出家、了俊と号す。3代将軍義満の代で九州探題に就き、懐良親王を奉ずる菊池氏ら九州南朝勢と抗争、平定を進めた。しかしその余勢を義満から警戒され、1395年に京へ召還されると探題を解任され、駿河・遠江半国守護に左遷。さらに大内義弘による応永の乱への関与も疑われ、隠退へ追い込まれた。和歌や連歌に優れた文人であり、長命もあって多くの著作を残した。
人はその身の位に従って忠を致すべきであったのだ。「身の程より忠功が過ぎれば、必ず恨みが生じるものか」と思うゆえである。…よくよく考えてみると、昔かたぎの実直さを貫きすぎて、くだらない事で身を滅ぼす事もあるご時世だから、時として不道・不義・無礼な振舞いも必要であるかも知れない。
「難太平記」
応永9年(1402)2月
関連人物
- 足利義詮(第2代将軍):主。死去に殉ずる形で貞世は出家し、了俊と号した。
- 足利義満(第3代将軍):主。了俊ら有力守護を抑圧しながら将軍権力を強化。
- 足利満兼(第3代鎌倉公方):応永の乱への加担を了俊が仲介したとされる。
- 細川頼之(管領):盟友。了俊を九州探題に推薦して平定を支援。
- 大内義弘(周防守護):九州平定時の麾下。のち謀反に際し、了俊に連携を要請。
- 少弐冬資(筑前守護):了俊の九州統治に反発したため、謀殺された。
- 島津氏久(大隅守護):了俊の九州統治に抵抗して独自に経営を志向。
- 懐良親王(征西将軍宮):九州南朝の盟主。幕府軍に大宰府を奪われ敗退。
- 菊池武光(南朝方の武将):九州南朝の全盛を築くが、了俊上陸後に衰退。
- 鄭夢周(高麗末期の儒者):倭寇の禁圧を求めて来日し、了俊と交渉。
- 冷泉為秀(歌人):和歌の師。
- 二条良基(公卿):連歌の師。