石川啄木
いしかわたくぼく(1886-1912)
明治時代の歌人・詩人
岩手県出身。盛岡中学(現盛岡一高)中退。在学中から作歌に熱中し、20歳で処女詩集「あこがれ」を刊行して将来を嘱望されるが、生活のため故郷の代用教員や北海道の新聞記者など各地を放浪する。のち上京して東京朝日新聞の校正係に就き、1910年出版の歌集「一握の砂」が歌壇内外から注目された。また大逆事件に衝撃を受けて社会主義に共鳴し、評論も執筆するが、肺結核のために27歳の若さで死去。死後に歌集「悲しき玩具」が出版された。
いしかわたくぼく(1886-1912)
明治時代の歌人・詩人
岩手県出身。盛岡中学(現盛岡一高)中退。在学中から作歌に熱中し、20歳で処女詩集「あこがれ」を刊行して将来を嘱望されるが、生活のため故郷の代用教員や北海道の新聞記者など各地を放浪する。のち上京して東京朝日新聞の校正係に就き、1910年出版の歌集「一握の砂」が歌壇内外から注目された。また大逆事件に衝撃を受けて社会主義に共鳴し、評論も執筆するが、肺結核のために27歳の若さで死去。死後に歌集「悲しき玩具」が出版された。