物部守屋
もののべのもりや(?-587)
古墳時代の軍事氏族・大連
物部尾輿の子。かねてより仏教受容を巡って蘇我氏との対立がある中、敏達天皇の代に大連となり執政する。排仏派として疫病が蔓延した原因は仏法にあると主張、自ら寺塔や仏像を破却し、大臣蘇我馬子ら崇仏派との確執を深めた。用明天皇の崩御後、穴穂部皇子の擁立を図るが阻止されて孤立し、馬子主導の下に皇族や諸豪族が招集されて武力衝突へ発展。河内渋川の本拠を攻められ激戦の末に敗死(丁未の乱)。乱後、守屋一族は離散した。
関連人物
- 物部尾輿(大連):父。仏法排撃を進め、崇仏派の蘇我稲目と対立。
- 敏達天皇(第30代天皇):疫病終息のため、守屋らが仏法禁止を奏上した。
- 用明天皇(第31代天皇):病床で仏教信仰の是非を群臣に問い、守屋らが反発。
- 穴穂部皇子(欽明天皇の皇子):守屋に擁立されたが、馬子に先手を打たれた。
- 泊瀬部皇子(欽明天皇の皇子):馬子主導の物部討伐軍に参加。後の崇峻天皇。
- 厩戸皇子(用明天皇の皇子):物部討伐軍に参加し、仏法に戦勝祈願した。
- 蘇我馬子(大臣):政敵。仏法興隆を進める一方、皇位継承も絡んで対立。
- 中臣勝海(大夫):守屋と共に仏法を排撃。
- 物部麻呂(公卿):後裔。後に石上朝臣に改姓。
参考資料
- 安田靫彦:「守屋大連」
(2012/08/24 改作)