聖徳太子の似顔絵

聖徳太子,厩戸皇子,厩戸王のイラスト

厩戸皇子 / 聖徳太子

うまやとのみこ / しょうとくたいし
(574-622)
飛鳥時代の皇族

用明天皇の第二皇子。大臣蘇我馬子が勢威を振るう中、20歳で推古天皇の皇太子となり、馬子と共に執政を行う。603年に冠位十二階、翌年に十七条憲法を制定し、法令と組織を整備。また小野妹子らを隋へ派遣して大陸文化の導入を図り、天皇を中心とする中央集権国家体制の確立を目指した。仏教の興隆にも尽くし、「三経義疏」を著したほか、法隆寺や四天王寺を創建。死後に「日本の釈迦」として太子信仰が生まれ、様々な伝説が形成された。

一に曰く、和を貴び、逆らう事のないようを旨とせよ。
人には皆仲間があるが、道理の分かる者は少ない。それゆえ主君や父に従わず、また隣人とも仲違いする。しかし、上の者が和やかで下の者が睦まじくする中で、打ち解けて議論すれば自ずから道理が通じ、何事も上手くゆくであろう。

「日本書紀」第二十二巻
『十七条憲法』より第一条(意訳)

関連人物

  • 用明天皇(第31代天皇):父帝。
  • 崇峻天皇(第32代天皇):叔父。
  • 推古天皇(第33代天皇):叔母。
  • 物部守屋(大連):廃仏派。馬子が主導する崇仏派勢力に討たれた。
  • 蘇我馬子(大臣):大伯父。厩戸と協調しながら権勢を築いた。
  • 慧慈(渡来僧):仏教の師。
  • 秦河勝(豪族):側近。
  • 小野妹子(官人):厩戸に召喚され、遣隋使として従事。
  • 山背大兄王(皇族):子。
  • 親鸞(浄土真宗宗祖):太子を信仰していた。

参考資料

  • 唐本御影・聖徳太子二王子像(宮内庁蔵)

(2017/01/20 改作)

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