小野篁
おののたかむら
(802-852)
平安時代前期の公卿・文人
小野岑守の長男。21歳で文章生となり、令の注釈書「令義解」の編纂に参画。834年に遣唐副使となるが、3度目の出発時に大使と諍いを起こして乗船を拒否、さらに遣唐使事業を揶揄する歌を作ったため、官位剥奪のうえ隠岐への配流となる。のち帰京を赦されて要職を歴任、参議として政務に携わった。詩歌や書に優れ、また粗野で型破りな性格から「野狂」と称され、才気煥発な様を示す逸話が「宇治拾遺物語」などに残されている。
わたのはら 八十島かけて 漕ぎ出でぬと 人には告げよ 海人の釣舟
大海原を、幾多の島々の方へ向け、漕ぎ出していったと
京の人には伝えておくれ、漁師の釣船よ。「古今和歌集」
小倉百人一首・第11番
関連人物
- 嵯峨天皇(第52代天皇):学問を疎かにする若き篁を嘆いて発奮させた。
- 淳和天皇(第53代天皇):「令義解」編纂の勅を下した。
- 仁明天皇(第54代天皇)
- 恒貞親王(皇族):篁が東宮学士として教育。
- 文徳天皇(第55代天皇):篁が東宮学士として教育。
- 小野妹子(官人):先祖。
- 小野岑守(官人):父。勅撰漢詩集「凌雲集」の撰者。
- 藤原三守(公卿):岳父。
- 藤原常嗣(公卿):遣唐大使。渡航の際に諍いとなった。
- 清原夏野(官人):「令義解」編纂を取り仕切った。
- 菅原清公(官人):「令義解」共編者。菅原道真の祖父。
- 紀夏井(官人):書の弟子。
参考資料
- 菊池容斎:「前賢故実」より
- 松平定信編:「集古十種」より
参考リンク
- 小野篁の歌(やまとうた)