兼好 / 卜部兼好
けんこう / うらべのかねよし
(1283?-1352以後)
鎌倉時代後期~南北朝時代の官人・遁世者・随筆家
通説では吉田神社の社家出身で、俗姓は卜部氏。堀川家の家司、次いで後二条天皇の六位蔵人として仕えるが、やがて官職を辞して30歳頃に出家遁世したという。以降、修学院や横川などで修行し、遍歴して洛西に草庵を結ぶ。二条為世に師事した歌人でもあり、各種の歌会や歌合に参加するなど公武僧俗を問わず幅広く交流を持った。また随筆「徒然草」では、無常観や尚古趣味を基調にしつつ鋭い批評眼と諧謔が冴え、江戸時代になって広く読まれた。
何事も当てにしてはならない。愚かな人は物事を深く当てにするから、恨んだり怒ったりするのだ。
…自分も他人も当てにしなければ、うまくいった時は喜び、うまくいかない時でも恨むことはない。心の在り方が左右に幅が広ければ物に遮られないし、前後に奥行きがあれば行き詰まることもない。狭い時は押し潰され砕けてしまう。心にゆとりが失くなり厳しくなると、他人と衝突して傷ついてしまう。ゆとりがある時は、少しも心身を損なうことはない。
人は天地の中でも霊妙なものである。天地は無限であり、人の心もまた同じである。広大無辺な心でいれば、喜怒の感情が障りになることもなく、物事に煩わされることもない。
「徒然草」
第二百十一段(意訳)
関連人物
- 堀川具守(公卿):後二条天皇の外祖父。兼好が家司を務めたとされる。
- 後二条天皇(第94代天皇):兼好が蔵人として仕えたとされる。
- 邦良親王(後二条の皇子):歌会を主宰。
- 二条為世(公卿・歌人):歌道二条派の師。
- 頓阿(僧・歌人):二条派の同門。
- 金沢貞顕(北条氏一門):後の第15代執権。兼好が鎌倉下向時に交流。
- 足利直義(足利幕府重鎮):兼好らの歌を高野山金剛三昧院に奉納した。
- 高師直(足利幕府執事):塩冶高貞の妻への恋文を代筆させた逸話がある。
- 今川了俊(武将・歌人):晩年の兼好と交流があったとされる。
- 吉田兼倶(神道家):自家の箔付けのために兼好を系譜に取り込んだとされる。
参考資料
- 狩野探幽:兼好法師像
- 小川剛生:「兼好法師」(中公新書)
参考リンク
- 兼好の歌(やまとうた)