大友宗麟 / 大友義鎮
おおともそうりん / おおともよししげ(1530-1587)
戦国時代の武将・キリシタン大名
室町幕府豊後守護・九州探題
大友義鑑の長男。父による廃嫡計画を阻止して家督を相続。毛利氏と抗争しつつ隣国へ進出し、毛利元就の死後、北九州6ヶ国を制して全盛期を築く。またザビエルら宣教師を迎えてキリスト教を保護し、後に受洗している。隠居後も長男義統と二頭政治を執り、無鹿を拠点にキリシタン王国の建設を開始。しかし1578年の日向耳川の戦いで島津軍に大敗して以降、家臣団の相次ぐ離反で勢力は衰退。豊臣秀吉に救援を求め、九州征伐を経て豊後一国を安堵された。
関連人物
- 大友義鑑(豊後の大名):父。義鎮の廃嫡を図るが、義鎮派家臣に阻止された。
- 足利義輝(第13代将軍):義鎮を豊前・筑前守護、九州探題に任命した。
- 毛利元就(安芸の大名):北九州へ勢力を伸ばし、義鎮と抗争。
- 龍造寺隆信(肥前の大名):宗麟の佐嘉城攻めを撃退して勢力を拡大。
- 島津義久(薩摩の大名):耳川合戦で宗麟に圧勝して九州制覇を目指した。
- 豊臣秀吉(天下人):宗麟自ら大坂城へ赴いて軍事支援を要請。
- 立花道雪(大友家家臣)
- 高橋紹運(大友家家臣)
- 立花宗茂(大友家家臣)
- ザビエル(キリスト教宣教師):宗麟の保護を受けて布教活動を行う。
参考資料
- 大友宗麟銅像(府内城)
(2011/04/25 改作)