宇喜多秀家
うきたひでいえ(1572-1655)
安土桃山時代の武将・大名
宇喜多直家の嫡男。父の没後に家督を継ぎ、羽柴秀吉の備中高松城攻めに協力した功で、50万石の大名となる。秀吉に厚遇され養女豪姫を娶ったほか、武将としても優れ、四国・九州・小田原征伐や朝鮮出兵で活躍。27歳にして五大老に列した。一方この頃、家臣の内紛によって家中の弱体化も招いている。関ヶ原の戦いでは西軍の副将格として奮戦するが敗走。薩摩島津氏に匿われていたところを幕府へ引き渡され、八丈島への遠流となり、50年を流人として過ごした。
関連人物
- 宇喜多直家(備前の大名):父。謀将として知られる。
- 豊臣秀吉(天下人):偏諱「秀」を与え、猶子とするなど格別に寵愛した。
- 前田利家(五大老):正室豪姫の実父。
- 徳川家康(五大老):宇喜多家の内紛を調停して影響力を及ぼした。
- 小早川隆景(毛利家家臣):文禄の役・碧蹄館の戦いで共に活躍。
- 毛利秀元(毛利家家臣):慶長の役で共に軍監として渡海。
- 石田三成(豊臣家家臣):関ヶ原の戦いで秀家を副将格に擁した。
- 福島正則(豊臣家家臣):関ヶ原の戦いで宇喜多勢相手に奮戦。
- 島津義弘(薩摩の大名):関ヶ原から落ち延びた秀家を庇護。
- 明石全登(宇喜多家家臣):騒動後の家中を取り仕切った。