明智光秀 / 惟任光秀
あけちみつひで / これとうみつひで
(1516/28?-1582)
戦国時代~安土桃山時代の武将
美濃国出身とされるが出自・前歴は不詳。当初は朝倉義景に仕え、のち将軍足利義昭と共に織田信長の許へ赴き、上洛時の交渉役を務める。1571年の延暦寺焼討ち後は近江坂本に築城し、信長の重臣として各地を転戦。特に丹波平定に功を上げ、亀山城を居城とした。82年、中国攻めの援護として出陣直後、何故か京都本能寺を急襲して主君信長を滅ぼす(本能寺の変)。しかし十分な支援を得られず、山崎の戦いで羽柴秀吉に敗れて絶命した。
関連人物
- 朝倉義景(越前の大名):旧主。
- 足利義昭(第15代将軍):旧主。
- 織田信長(尾張の大名):主君。光秀謀反の理由は不明。
- 織田信忠(織田家継嗣):信長自刃後、二条御所で討たれた。
- 津田信澄(織田家一門):娘婿。本能寺の変への関与を疑われ大坂城で討死。
- 細川藤孝(織田家家臣):縁戚。軍事的な組下ながら山崎合戦の協力を拒否。
- 筒井順慶(織田家家臣):縁戚。軍事的な組下ながら山崎合戦の協力を拒否。
- 羽柴秀吉(織田家家臣):毛利攻めから強行反転し、山崎合戦で光秀を撃破。
- 明智珠(細川忠興の正室):娘。細川ガラシャの名で知られる。
- 明智秀満(明智氏重臣):娘婿。山崎での敗北後、坂本城にて自害。
- 斎藤利三(明智氏重臣):春日局の父。山崎での敗北後、捕縛され処刑。
- 伊勢貞興(明智氏家臣):旧幕臣(政所執事)。山崎合戦で殿を務めて討死。