足利義満
あしかがよしみつ
(1358-1408)
室町幕府第3代将軍
足利義詮の嫡男。父の没後に将軍となり、管領細川頼之の庇護で成長。頼之が失脚すると自立し、斯波義将の補佐で幕府権力の強化を図る。朝廷と親密な関係を築きながら公武に及ぶ権威を獲得し、1392年に南朝を接収する形で両朝合体を実現。並行して山名氏や大内氏などの有力大名を挑発して勢力を削った。外交では明に追従する「日本国王」として勘合貿易を成立、また北山第(鹿苑寺)を造営して政務や祭祀を行い、北山文化を花開かせた。
南北両朝御合体の事、念入りに吉田兼煕卿に申し合わせたところ、成就したのはめでたい事であります。三種の神器を京へ戻すにあたり、御譲国の儀式をなすべきの旨、了解しました。今後は北朝・持明院統と南朝・大覚寺統が交互に皇位を継承する事と決定致しました。とりわけ、諸国の国衙領はすべて大覚寺統の領有とし、長講堂領はすべて持明院統の所有とします。
明徳3年(1392)10月13日
南朝方重臣・阿野実為宛ての請文
関連人物
- 足利義詮(第2代将軍):父。臨終に際して細川頼之に幕政の補佐を託した。
- 足利義持(第4代将軍):長男。父が異母弟義嗣を偏愛したために確執を抱えた。
- 青蓮院義円(天台座主):五男。後に還俗して6代将軍足利義教となる。
- 後円融天皇(北朝第5代天皇):母方の従兄弟。権勢を増す義満と確執を抱えた。
- 後亀山天皇(第99代天皇):義満の要請で三種の神器を後小松天皇に伝えた。
- 後小松天皇(第100代天皇):後亀山から神器を継承し、両朝の合一を実現。
- 細川頼之(管領):幼少の義満を補佐するが、康暦の政変で一時失脚。
- 斯波義将(管領):頼之の失脚後、宿老として幕府の安定化に貢献。
- 山名氏清(侍所頭人):一族の内紛を義満に利用され、明徳の乱を起こして敗死。
- 大内義弘(周防守護):西国の雄として勢威を誇るが、応永の乱を起こして敗死。
- 足利満兼(第3代鎌倉公方):応永の乱に加担するが、踏み留まって謝罪した。
- 今川了俊(九州探題):探題解任後に自著「難太平記」で義満の政道を批判。
- 二条良基(公卿):義満に公家の教養を教え、北朝と幕府の一体化を図った。
- 世阿弥(猿楽師):義満の庇護を受けて猿楽能を大成させた。
参考資料
- 足利義満木像(等持院蔵)
- 足利義満像(鹿苑寺蔵)
参考リンク
- 足利義満の歌(やまとうた)
(2017/02/21 改作)