足利義持
あしかがよしもち
(1386-1428)
室町幕府第4代将軍
足利義満の嫡男。9歳で将軍となるが、実権は父に握られ確執を抱えた。父の死後は宿老の補佐を受け、朝廷から亡父への上皇追号の辞退、日明貿易の中止など政治路線を転換。1416年に起きた上杉禅秀の乱では、鎌倉公方足利持氏を支援して鎮圧し、これに関与した疑いで異母弟義嗣を抹殺している。のち嫡子義量に将軍職を譲るも、早世したため政務を続行。最期まで後嗣選定を拒んだ事で、群臣の立会いで「クジ引き」が行われる珍事が起きた。
たとえ実子がいたとしても、後継の指名はしなかったと思う。まして子がいないのならなおさらである。ただともかく面々で相談し、しかるべく選定しておいてほしい。
「満済准后日記」
病床での発言
関連人物
- 足利義満(第3代将軍):父。義持を礼遇し、弟義嗣を偏愛した。
- 足利義量(第5代将軍):嫡男。義持や宿老の存在により実権が薄いまま早世。
- 足利義嗣(足利氏一門):異母弟。上杉禅秀の乱に関与した疑いで抹殺された。
- 足利持氏(鎌倉公方):上杉禅秀の乱では協力したが、後に対立へ転じた。
- 後小松天皇(第100代天皇):亡き義満に上皇号を贈るが辞退された。
- 斯波義将(管領):宿老。義満への上皇追号辞退や日明貿易中止を献言。
- 畠山満家(管領):重臣。将軍と守護勢力の調停役として幕府安定化に貢献。
- 満済(真言宗の僧):護持僧。将軍後継の選定にクジ引きを提案。
- 青蓮院義円(天台座主):同母弟。クジ引きで後継に選ばれ、6代将軍となる。
- 赤松満祐(播磨の武将):所領安堵が叶わずに下国し、合戦寸前になった。
参考資料
- 足利義持像(神護寺蔵)
- 足利義持木像(等持院蔵)
(2017/01/31 改作)