後醍醐天皇 / 尊治親王
ごだいごてんのう / たかはるしんのう
(1288-1339)
第96代天皇・南朝初代天皇
後宇多天皇の第二皇子。31歳で即位し、皇位継承に介入する鎌倉幕府の打倒を図るが、発覚して隠岐へ流される。1333年、畿内の倒幕運動に呼応して隠岐を脱出、鎌倉陥落を受けて帰京し、万機親裁による「建武の新政」を始めた。綸旨の発給や雑訴決断所の設置で膨大な所領紛争に対応するも、足利尊氏の離反により政権は瓦解。大和吉野へ逃れて南朝を立て、各地に皇子を派遣して京都奪還を目指しながら、有力武将を次々と失う劣勢の中で崩御した。
朕の妄念とは、朝敵をことごとく滅ぼして天下を泰平ならしめる事である。
たとえこの身が吉野の苔に埋もれるとも、魂は常に京の天を望もうと思う。
もしこの命に背いて義を軽んずれば、
帝であろうと正当な世継ではないし、臣下もまた忠臣ではない。「太平記」
巻第二十一『先帝崩御事』(意訳)
関連人物
- 後宇多天皇(第91代天皇):父帝。後醍醐を中継ぎ扱いとして院政を敷いた。
- 花園天皇(第95代天皇):持明院統。後醍醐へ譲位後は光厳天皇を養育。
- 阿野廉子(後醍醐の寵妃):皇后並に遇されて権勢を誇り、執政にも関与した。
- 後村上天皇(第97代天皇):廉子との間の皇子。義良親王。
- 護良親王(後醍醐の皇子):父帝や継母廉子との確執と尊氏の讒訴により失脚。
- 宗良親王(後醍醐の皇子):征夷大将軍として信濃で南朝勢力を築いた。
- 懐良親王(後醍醐の皇子):征西将軍宮として九州で南朝勢力を築いた。
- 北畠親房(南朝方の公卿):万里小路宣房・吉田定房と並ぶ側近。
- 楠木正成(南朝方の武将):倒幕の功臣。建武政権で河内・和泉守護となる。
- 新田義貞(南朝方の武将):倒幕の功臣。建武政権で武者所頭人となる。
- 名和長年(南朝方の武将):倒幕の功臣。後醍醐の隠岐脱出を支援。
- 足利尊氏(北朝方の武将):倒幕の功臣。偏諱「尊」を受けるが後に離反。
参考資料
- 後醍醐天皇御像(清浄光寺蔵)
- 「天子摂関御影」より後醍醐院像(宮内庁三の丸尚蔵館蔵)
(2017/08/03 改作)