護良親王の似顔絵

護良親王のイラスト

護良親王

もりよししんのう(1308-1335)
鎌倉末期の天台座主・皇族
建武政権征夷大将軍

後醍醐天皇の皇子。延暦寺梶井門跡で出家、尊雲と号して20歳で天台座主となる。元弘の乱が起きると還俗して畿内に潜り、諸国に令旨を発して反北条勢を募った。建武政権で征夷大将軍となるが、足利尊氏と対立して暗殺を計画。次第に父帝や継母阿野廉子からも疎まれ、1334年、廉子を通じた尊氏の讒訴によって逮捕され、足利直義の統治する鎌倉へ護送・幽閉される。のち中先代の乱に際し、北条勢による親王擁立を恐れた直義の命によって暗殺された。

武家(足利)よりも、君(父帝)がうらめしい。

「梅松論」
鎌倉幽閉後の独白

関連人物

  • 後醍醐天皇(第96代天皇):父帝。政治的に確執。
  • 阿野廉子(後醍醐の寵妃):継母。護良を疎んで派閥を形成した。
  • 義良親王(後醍醐の皇子):異母弟。後の後村上天皇。
  • 宗良親王(後醍醐の皇子):異母弟。後村上から征夷大将軍に任命された。
  • 北畠顕家(陸奥守):縁者とされる。
  • 楠木正成(河内守):共に畿内で反北条勢の糾合に努めた。
  • 赤松則村(播磨守護):護良派にいたが、建武政権離脱後は足利方へ属した。
  • 名和長年(伯耆守):後醍醐の命を受け、結城親光と共に護良を逮捕。
  • 足利尊氏(鎮守府将軍):建武政権下で護良から警戒されていた。
  • 足利直義(鎌倉将軍府執権):中先代の乱の最中、家臣に命じて護良を暗殺。

参考資料

  • 月岡芳年:「芳年漫画」より
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