土御門天皇 / 為仁親王
つちみかどてんのう / ためひとしんのう
(1195-1231)
第83代天皇
後鳥羽天皇の第一皇子。外祖父源通親の後押しで4歳で即位。のち通親が没して専政を始めた父院の意向を受け、16歳で異母弟守成親王(順徳天皇)へ譲位させられ上皇となる。なおも父による専権的な院政下で実権に乏しく、1221年に起きた承久の乱でも、父や弟とは一線を画して関与しなかった。にも関わらず、戦後処理の際に自ら配流を望んで土佐へ遷幸し、後に阿波へ遷され余生を過ごした。穏和な性格で、父同様に歌人として名を残した。
うき世には かかれとてこそ 生まれけめ ことわり知らぬ 我が涙かな
「このような辛い境遇であれ」と定められて、この辛い世の中に生まれてきたのだろう。そう納得して苦難に耐えるべきなのに、分別なくこぼれる我が涙であることよ。
「続古今和歌集」
関連人物
- 後鳥羽天皇(第82代天皇):父帝。順徳〜仲恭への皇統を望んだ。
- 承明門院(後鳥羽の後宮):国母。乱後に生き別れた土御門の皇子を養育。
- 源通親(公卿):養祖父。土御門の外戚として朝廷で権勢を振るった。
- 順徳天皇(第84代天皇):異母弟。土御門とは違って対幕強硬派だった。
- 仲恭天皇(第85代天皇):順徳の皇子。乱後に幕府の意向で廃された。
- 守貞親王(皇族):伯父。乱後に幕府の意向で法皇に立てられた(後高倉院)。
- 後堀河天皇(第86代天皇):後高倉の皇子。乱後に仲恭に替わって即位した。
- 土御門定通(公卿):外叔父。乱後に姉承明門院と皇子を庇護していた。
- 邦仁王(土御門の皇子):四条天皇の急逝により皇位継承が持ち上がった。
- 北条義時(鎌倉幕府第2代執権):承久の乱で完勝し、戦後処理を差配。
- 北条泰時(鎌倉幕府第3代執権):順徳系排除のために邦仁を皇位に擁立。
参考資料
- 「天子摂関御影」より(宮内庁三の丸尚蔵館蔵)
参考リンク
- 土御門院の歌(やまとうた)