後嵯峨天皇 / 邦仁王
ごさがてんのう / くにひとおう
(1220-1272)
第88代天皇
土御門天皇の第二皇子。四条天皇の急死に伴い、鎌倉幕府の推戴で23歳で即位。在位4年で譲位し、後深草・亀山の兄弟2代26年で院政を行う。承久の乱後に衰えた歌壇を復興させ、「続後撰和歌集」「続古今和歌集」を撰進させる。また幕府の要請で、宗尊親王を初の宮将軍として鎌倉へ派遣。晩年、後深草の皇子を差し置いて亀山の皇子を立太子させ、次の治天を定めずに崩御したため、後深草系と亀山系に確執が生じて朝廷分裂の遠因となった。
三代までに いにしへ今の 名もふりぬ 光をみがけ 玉島津姫
古今集、新古今集、そして続古今集と、三代にわたって「古今」の名も歴史を積み重ねました。玉を磨いて光を増すように、我が世の勅撰集にもますます光をお与えください、歌神・玉島津姫よ。
文永3年(1266)3月
「続古今和歌集」編纂完了の祝宴にて
関連人物
- 土御門上皇(第83代天皇):父院。承久の乱に自ら連座して生き別れた。
- 承明門院(後鳥羽院の後宮):祖母。早くに両親と離別した邦仁を養育した。
- 忠成王(順徳院の皇子):従弟で皇嗣の対立候補。幕府の意向で退けられた。
- 宗尊親王(第6代将軍):庶皇子。九条家に代わる皇族将軍として鎌倉へ下向。
- 後深草天皇(第89代天皇):第二皇子。持明院統(後の北朝皇統)の祖。
- 亀山天皇(第90代天皇):第三皇子。大覚寺統(後の南朝皇統)の祖。
- 高峰顕日(臨済宗の僧):皇子。関東における禅林の主流を形成した。
- 九条道家(公卿):院政下で権勢を誇ったが、摂家将軍の更迭に伴って失脚。
- 西園寺実氏(公卿):外戚。九条家に代わって台頭し、新たな朝幕関係を構築。
- 藤原為家(公卿・歌人):「続後撰集」「続古今集」を撰するなど院歌壇で活躍。
- 北条泰時(第3代執権):順徳系へ皇統が移るのを避けるため邦仁を擁立。
- 北条時頼(第5代執権):九条家を将軍職から排除し、宗尊親王を迎え入れた。
参考資料
- 「天子摂関御影」より(宮内庁三の丸尚蔵館蔵)
参考リンク
- 後嵯峨院の歌(やまとうた)
(2017/10/24 改作)