藤原俊成
ふじわらのとしなり / ふじわらのしゅんぜい(1114-1204)
平安末期~鎌倉初期の歌人・公卿
藤原俊忠の三男。葉室家の養子となったが、のち本家へ戻った。藤原基俊に師事し、崇徳院歌壇で次第に頭角を現す。出家後は九条家の師範となり、また「千載和歌集」の撰者になった事で名実ともに第一人者となった。子の定家など若手の育成にも当たり、新古今調の歌壇に与えた影響も大きい。家集「長秋詠藻」、歌論書「古来風躰抄」などがある。
世の中よ 道こそなけれ 思ひ入る 山の奥にも 鹿ぞ鳴くなる
「千載和歌集」
小倉百人一首・第83番
関連人物
- 崇徳上皇(第75代天皇):俊成に「久安百首」の部類を命じた。
- 後白河法皇(第77代天皇):俊成に「千載和歌集」編纂の院宣を下した。
- 後鳥羽上皇(第82代天皇):晩年の俊成を厚遇し、宴を主催した。
- 式子内親王(後白河の皇女):俊成に「古来風躰抄」の執筆を依頼。
- 藤原清輔(歌人):六条家歌壇の重鎮として、俊成と相対した。
- 平忠度(武将・歌人):弟子。一門都落ちの際、俊成へ歌の巻物を託した。
- 藤原定家(歌人):子。
- 寂蓮(歌人・僧):甥。一時養子でもあった。
- 藤原家隆(歌人):弟子。
- 藤原俊成女(歌人):孫で養女。
参考資料
- 狩野洞雲:「新三十六歌仙画帖」より(フェリス女学院大学附属図書館蔵)
参考リンク
- 藤原俊成の歌(やまとうた)