崇徳上皇の似顔絵

2016/09/11

崇徳上皇,崇徳院のイラスト

崇徳天皇 / 顕仁親王

すとくてんのう / あきひとしんのう(1119-1164)
第75代天皇

鳥羽天皇の第一皇子。曾祖父白河法皇の後見により5歳で即位するが、白河の崩御後に院政を敷いた父と皇后美福門院の意向で躰仁親王へ譲位(近衛天皇)。のち嫡子重仁親王の即位による院政へ望みを繋ぐも、雅仁親王の即位(後白河天皇)で望みが潰えた。ここに摂関家の内紛も絡み、1156年に後白河天皇方との武力衝突が勃発(保元の乱)。敗北後に讃岐へ流され、失意の日々を過ごした。後世に怨霊として畏怖された一方、歌人としても名高い。

瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の 割れても末に 逢はむとぞ思ふ

川瀬の流れが早く、岩にせき止められた急流が二つに分かれるように、
たとえあなたと別れたとしても、いつかきっと巡り逢おうと思っている。

「詞花和歌集」
小倉百人一首・第77番

関連人物

  • 鳥羽法皇(第74代天皇):父帝。「古事談」は白河法皇が実父と伝える。
  • 待賢門院(鳥羽法皇の中宮):生母。
  • 美福門院(鳥羽法皇の皇后):継母。崇徳を疎んじていたとされる。
  • 近衛天皇(第76代天皇):異母弟。鳥羽の意向で即位するが病で早世した。
  • 後白河天皇(第77代天皇):同母弟。道楽者で、当初は皇位とは無縁だった。
  • 藤原頼長(公卿):異母兄の忠通と対立し、崇徳を擁立して復権を図った。
  • 藤原教長(公卿・歌人):腹心。保元の乱で召集に奔走、乱後に常陸へ流された。
  • 源為義(源氏の武将):保元の乱で崇徳方につき敗北、子義朝の手で処刑された。
  • 平忠正(平氏の武将):保元の乱で崇徳方につき敗北、甥清盛の手で処刑された。
  • 源為朝(源氏の武将):保元の乱で崇徳方につき敗北、伊豆大島へ流された。

参考資料

  • 菊池容斎:「崇徳天皇御影」
  • 月岡芳年:「大日本史略図会」より

参考リンク

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