ジョット・ディ・ボンドーネ
Giotto di Bondone(1266/7-1337)
イタリアの画家・建築家
フィレンツェ近郊出身。経歴には不明な点が多く、チマブーエの弟子になったという逸話も疑わしい。当時ローマで活躍していた先人の影響を受けたとされる。旧来のビザンティン様式を脱して三次元的な空間表現や人物の自然な感情表現をもたらし、来たるルネサンス美術への先鞭を付けた。代表作は1305年に完成したパドヴァのスクロヴェーニ礼拝堂の装飾画。晩年はサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂の建築主任として、鐘楼の設計に当たった。
絵画ではチマブーエが覇権を握ったと信じられていた。
しかし今やジョットが台頭した事で、彼の名声はかげっている。ダンテ
「神曲」煉獄篇 第11曲
関連人物
- チマブーエ(画家):師とされる。
- カヴァリーニ(画家):ジョットに影響を与えたとされる。
- アルノルフォ・ディ・カンビオ(彫刻家):ジョットに影響を与えたとされる。
- ボニファティウス8世(ローマ教皇):庇護者。
- フランチェスコ(修道士・聖人):ジョットが描いたとされる。
- ダンテ(詩人):「神曲」でジョットの名声を綴った。
- ボッカッチョ(詩人):晩年の友人。
- ピサーノ(建築家):ジョットを受け継いで大聖堂の建築を担当。
- ロレンツェッティ(画家):ジョットの影響を受けた。
- ダッディ(画家):ジョットの影響を受けた。
参考リンク
- ジョットの作品と解説(サルヴァスタイル美術館)