平沼騏一郎
ひらぬまきいちろう(1867-1952)
明治時代~昭和前期の官僚・政治家
第35代内閣総理大臣
美作国出身。帝国大学法科卒業後に司法省で検事畑を進み、大逆事件やシーメンス事件などを担当する。第2次山本内閣の法相在職時の虎ノ門事件に衝撃を受け、国家主義団体「国本社」を組織して軍部や政財界の右派人脈を結集。1939年に組閣して日独伊防共協定の強化問題に苦心する中、独ソ不可侵条約の締結によって方向性を見失い総辞職。のち近衛内閣で内相を務め、戦時中は重臣として東条内閣打倒に関与。敗戦後にA級戦犯として終身刑となった。
今回締結せられたる独ソ不可侵条約により、欧州の天地は複雑怪奇なる新情勢を生じましたので、我が方はこれに鑑み、従来準備し来った政策はこれを打ちきり、さらに別途の政策樹立を必要とするに至りました。
1939年8月28日 内閣総辞職時の声明
関連人物
- 幸徳秋水(社会主義者):大逆事件で死刑を求刑された。
- 西園寺公望(元老):リベラルの立場から、観念的な国体論を説く平沼を警戒。
- 山本権兵衛(第22代首相):平沼が法相として入閣。虎ノ門事件により総辞職。
- 広田弘毅(第32代首相):国本社解散を条件として平沼を枢密院議長に推薦。
- 板垣征四郎(陸相):第1次近衛内閣からの留任。日独伊三国同盟の賛成派。
- 米内光政(海相):第1次近衛内閣から留任。日独伊三国同盟の反対派。
- 荒木貞夫(文相):第1次近衛内閣から留任し、軍国主義教育を強化。
- 近衛文麿(第38代首相):平沼が内相として入閣し、新体制推進派を処分。
- 小磯国昭(第41代首相):平沼らの推薦で東条内閣の後継として就任。
- 平沼赳夫(衆議院議員):養子(騏一郎の兄の曾孫)。