北畠顕家
きたばたけあきいえ(1318-1338)
南北朝時代の公卿・武将
建武政権鎮守府大将軍
北畠親房の長男。後醍醐天皇の新政下に16歳で陸奥守となり、義良親王を奉じて父と共に陸奥多賀城へ下り奥州経営に当たる。1335年、足利尊氏の謀叛を受けて上京し、新田義貞・楠木正成と協力して足利軍を駆逐した。奥州帰還後、勢力を挽回した足利軍を討つべく再び長征。美濃青野原で北朝方を破り、伊勢・伊賀を迂回して畿内各地で転戦するが次第に追い詰められ、和泉堺浦で高師直軍の前に散華した。死の直前、後醍醐の失政を諌める書状を遺した。
関連人物
- 後醍醐天皇(第96代天皇):主。書状で新政を批判された。
- 阿野廉子(後醍醐の寵妃):政治介入を諫奏文で暗に批判された。
- 義良親王(後醍醐の皇子):奥州下向時に奉じられた。
- 北畠親房(南朝方の公家武将):父。奥州経営を後見した。
- 北畠顕能(南朝方の公家武将):弟。伊勢の国司として伊勢北畠氏の祖となる。
- 結城宗広(南朝方の武将):側近。奥州下向時に随行し、北畠軍の主力となる。
- 北条時行(北条氏残党):中先代の乱後に南朝に降り、顕家軍に属した。
- 足利尊氏(足利幕府初代将軍):建武政権に反旗を翻し、朝敵とされた。
- 土岐頼遠(北朝方の武将):美濃青野原の戦いで北畠奥州軍に敗退。
- 高師直(北朝方の武将):和泉堺浦の戦いで顕家を討ち取った。
参考資料
- 荻生天泉:北畠顕家卿御肖像画(霊山神社蔵)