宗尊親王
むねたかしんのう(1242-1274)
鎌倉中期の皇族・歌人
鎌倉幕府第6代将軍
後嵯峨天皇の皇子。5代将軍藤原頼嗣の解任に伴い、11歳で皇族初の将軍(宮将軍)として迎えられた。頼嗣同様に実権は北条氏に握られていたため、歌道に生きて鎌倉歌壇を盛り立てる。しかし正室と護持僧の密通事件を口実に謀叛の疑いをかけられ、将軍職を解任されて京へ送還、嫡子の惟康王に挿げ替えられた。ほどなく父院の崩御を受けて出家し、33歳の若さで薨去。家集「柳葉和歌集」「瓊玉和歌集」など、3000首以上の歌が残される。
虎とのみ 用ゐられしは 昔にて 今はねずみの あなう世の中
虎とばかりに重んじられたのは昔のことで、
今は鼠が穴に潜むように引きこもっている。ああ嫌な世の中やのう。「竹風和歌抄」
将軍更迭後に京で詠じた歌
関連人物
- 後嵯峨上皇(第88代天皇):父帝。庶子ながら宗尊を寵愛した。
- 後深草天皇(第89代天皇):異母弟。持明院統(後の北朝皇統)の祖。
- 亀山天皇(第90代天皇):異母弟。大覚寺統(後の南朝皇統)の祖。
- 惟康王(第7代将軍):嫡男。宗尊の解任により、わずか3歳で将軍就任。
- 北条時頼(第5代執権):宗尊を将軍に迎え入れた。
- 北条政村(第7代執権):宗尊の将軍更迭を時宗らと主導した。
- 北条時宗(第8代執権):烏帽子子。偏諱「宗」を賜った。
- 真観(歌人):歌道の師。俗名は葉室光俊。
- 上杉重房(公家・武士):従者。親王更迭後も鎌倉に残り、上杉氏の祖となる。
- 宇都宮景綱(有力御家人):近習。歌道や蹴鞠に長じ、宗尊にも重用された。
参考資料
- 「義烈百人一首」より
参考リンク
- 宗尊親王の歌(やまとうた)