東条英機の似顔絵

東条英機,東條英機のイラスト

東条英機

とうじょうひでき(1884-1948)
大正時代~昭和前期の陸軍軍人・政治家
第40代内閣総理大臣

東京都出身。陸軍大学校卒業後、永田鉄山らと共に統制派の有力者として台頭。関東軍参謀長、陸軍次官を経て、第2・3次近衛内閣の陸相を務め対米英蘭開戦を主張。1941年の組閣に際して昭和天皇の意を受け、和戦両様案を採るも日米交渉の決裂により開戦を決定、太平洋戦争(大東亜戦争)へ突入した。戦局悪化に伴い国内統制と権限集中を強めるが、44年7月のサイパン陥落を機に総辞職。敗戦後の東京裁判でA級戦犯として裁かれ、絞首刑となった。

…過般来、政府はあらゆる手段を尽くし、対米国交調整の成立に努力して参りましたが、彼は従来の主張を一歩も譲らざるのみならず、かえって英蘭支と連合して、支那より我が陸海軍の無条件全面撤兵、南京政府の否認、日独伊三国条約の破棄を要求し、帝国の一方的譲歩を強要して参りました。…事ここに至りましては、帝国は現下の時局を打開し、自存自衛を全うするため、断固として立ちあがるのやむなきに至ったのであります。
…帝国の隆替、東亜の興廃、まさにこの一戦にあり。一億国民が一切を挙げて、国に報い、国に殉ずるの時は今であります。八紘を宇と為す皇謨の下に、この尽忠報国の大精神ある限り、英米といえども何ら恐るるに足らないのであります。勝利は常に御稜威の下にありと確信致すものであります。

1941年12月8日
開戦演説「大詔を拝し奉りて」(抜粋)

関連人物

  • 昭和天皇(第124代天皇):組閣に際し、改めて対米開戦回避に尽くすよう下命。
  • 永田鉄山(陸軍統制派):統制派首領で盟友。皇道派との抗争の中で横死。
  • 板垣征四郎(陸軍満洲派):陸相時代に東条が次官を務めた。
  • 石原莞爾(陸軍満洲派):満洲政策で確執を深め、開戦前に予備役へ編入された。
  • 近衛文麿(第39代首相):対米開戦を唱える東条陸相と対立し、内閣を総辞職。
  • 木戸幸一(内大臣):陸軍抑制のために敢えて東条を後継首班に推挙。
  • 東郷茂徳(外相):対米協調派として入閣するが、後に大東亜省設置を巡り辞任。
  • 中野正剛(東方会総裁):東条の独裁化に反発して倒閣運動を起こすが失敗。
  • 岡田啓介(重臣):戦局悪化により東条内閣の打倒運動を推進。
  • F.ルーズベルト(アメリカ大統領):日本軍の真珠湾攻撃を機に参戦。
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