安達泰盛
あだちやすもり
(1231-1285)
鎌倉時代中期の武将・有力御家人
鎌倉幕府恩賞奉行
安達義景の嫡男。父の跡を継いで秋田城介となり、引付頭人・評定衆として執権時頼を補佐。北条得宗家と縁戚を結び、外様御家人の筆頭として幕政に重きをなした。蒙古襲来時には執権時宗を支え、恩賞奉行を務める。執権貞時の時代では戦後の政治基盤の強化を目指し、御家人層の拡大などの幕政改革(弘安徳政)を主導するが、内外の反発も多く難航を極めた。やがて内管領平頼綱の讒言により、一族の多くと共に滅ぼされた(霜月騒動)。
陸奥守泰盛は無双の馬の名人だった。厩舎から馬を引き出させる際、馬が脚を揃えて敷居をひらりと跳び越えるのを見ると、「この馬は気性が荒い」と言って、別の馬に鞍を替えさせた。また、脚を伸ばして敷居につまずくと、「この馬は鈍い。事故を起こしそうだ」と言い、乗らなかった。
馬の道を知らない人は、ここまで用心しないだろう。兼好「徒然草」
第185段
関連人物
- 後嵯峨上皇(第88代天皇):泰盛に漢籍を下賜するなど親交があった。
- 亀山上皇(第90代天皇):泰盛の幕政改革に呼応して院政の制度化を進めた。
- 宗尊親王(第6代将軍):主君。泰盛ら重臣の密議により将軍職を更迭された。
- 源惟康(第7代将軍):主君。源氏将軍回帰を目指して擁立された。
- 北条時頼(第5代執権):従兄。泰盛を信任して幕政を運営。
- 北条時宗(第8代執権):娘婿。泰盛ら重臣の補佐を受け、蒙古襲来に対処。
- 北条貞時(第9代執権):外孫。平頼綱の讒言を容れ、泰盛派を誅する命を下した。
- 北条実時(北条氏一門):盟友。泰盛と共に執権時頼・時宗を補佐。
- 宇都宮景綱(有力御家人):義兄弟。霜月騒動で一時失脚した。
- 竹崎季長(肥後御家人):元寇で立てた武功の恩賞を求め、泰盛に直訴した。
- 平頼綱(得宗家被官):政敵。戦時体制での得宗権力の拡大に乗じて激しく対立。
参考資料
- 「蒙古襲来絵詞」より(宮内庁三の丸尚蔵館蔵)