鳥羽天皇 / 宗仁親王
とばてんのう / むねひとしんのう
(1103-1156)
第74代天皇
堀河天皇の第一皇子。5歳で即位するが、祖父白河法皇の強権な院政下で21歳で崇徳天皇に譲位させられる。白河の崩御を受けて院政を始め、白河院政で失脚していた摂関家の藤原忠実を復帰させ、荘園の再興などを進めた。また皇后美福門院を寵愛し、崇徳に譲位を迫って近衛天皇を立て、やがて近衛が夭折すると崇徳の院政を阻む思惑から後白河天皇が擁立。この皇位継承問題に摂関家の内紛も絡んで、崩御後まもなく「保元の乱」が勃発した。
関白忠通が体仁(近衛天皇)を譲位させ、幼い守仁(雅仁親王皇子)を立てて政権を握ろうとしている。予とそなたが没すれば、天下はまさに乱れよう。悲しい事よ。
藤原頼長「台記」
仁平3年(1153)9月23日条
藤原忠実との会話
関連人物
- 白河法皇(第72代天皇):祖父。院政を強化するため鳥羽を抑圧。
- 堀河天皇(第73代天皇):父帝。白河院政の本格化で実権に乏しかった。
- 待賢門院(中宮):崇徳・後白河両帝の生母。白河の後ろ盾で権勢を得ていた。
- 美福門院(皇后):近衛・八条院の生母。鳥羽の寵愛を受け権勢を振るった。
- 崇徳上皇(第75代天皇):第一皇子。白河院の実子と噂され疎まれていた。
- 近衛天皇(第76代天皇):第八皇子。鳥羽院政強化のため即位するが早世。
- 後白河天皇(第77代天皇):第四皇子。道楽者で当初は皇位とは無縁だった。
- 八条院(皇族):美福門院との皇女。両親の寵愛を受け膨大な所領を持った。
- 藤原忠実(摂関家):白河院政で失脚していたが鳥羽院政で復帰。
- 藤原頼長(摂関家):近衛の早世を機に鳥羽の信任を失って失脚。
- 藤原家成(公卿):美福門院の従兄。院近臣として権勢を振るった。
- 平忠盛(平氏の棟梁):鳥羽院政下で勢力を拡大し、内裏昇殿を許された。
参考資料
- 鳥羽法皇像(安楽寿院蔵)
参考リンク
- 鳥羽院の歌(やまとうた)
(2017/10/15 改作)