藤原頼長の似顔絵

藤原頼長,悪左府のイラスト

藤原頼長

ふじわらのよりなが
(1120-1156)
平安時代後期の公卿

藤原忠実の次男。17歳で内大臣となり、のち左大臣へと昇進。父の援助により藤氏長者・内覧となり、古儀の再興や政治の刷新に取り組む。兄の関白忠通とは近衛天皇の後宮政策を巡って激しく争うが、近衛の夭折を機に鳥羽法皇の信任を失って失脚。勢力を巻き返すべく崇徳上皇を担いでクーデターを図るが、後白河天皇方の夜襲に総崩れとなり、あえなく敗死した(保元の乱)。博学多才で知られ、その苛烈な性格から「悪左府」と畏怖された。

為朝の申すところは、もってのほかに乱暴である。若さゆえというものか。夜討ちなどというものは、その方ら武士同士の戦、十騎二十騎ほどの私戦でするものだ。主上(後白河)と上皇(崇徳)との御国を巡る争いに、源平が総力を上げて雌雄を決せんというのに、むやみにそのような事はするべきではない。

「保元物語」上巻
『新院が御所各門を固められる事、付・軍評定の事』
軍議で夜襲を献策した源為朝に対して

関連人物

  • 鳥羽法皇(第74代天皇):近衛天皇を呪殺した噂で頼長を疎んだ。
  • 美福門院(鳥羽法皇の皇后):忠通と連携して忠実・頼長の排斥を画策。
  • 崇徳上皇(第75代天皇):失脚した頼長が権勢を巻き返すべく擁立した。
  • 近衛天皇(第76代天皇):頼長の養女多子が入内した。
  • 後白河天皇(第77代天皇):後に頼長の鎮魂のために太政大臣を贈位した。
  • 藤原忠実(公卿):父。頼長を擁護して忠通と対立。
  • 藤原忠通(公卿):異母兄。頼長と権勢を巡って激しく対立。
  • 信西(貴族):学問を通じて交流。
  • 源為義(源氏の武将):従者。保元の乱で崇徳・頼長方に与するが敗北。
  • 平忠正(平氏の武将):従者。保元の乱で崇徳・頼長方に与するが敗北。
  • 源為朝(源氏の武将):保元の乱で夜討ちを献策するが、頼長に却下された。
  • 藤原基衡(奥州藤原氏):頼長の荘園年貢の増徴要求に粘り強く交渉。

参考資料

  • 「天子摂関御影」より(宮内庁三の丸尚蔵館蔵)
  • 「公家列影図」より(京都国立博物館蔵)

(2017/03/22 改作)

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