北条泰時
ほうじょうやすとき(1183-1242)
鎌倉幕府第3代執権
北条義時の長男。早くから幕府で重んじられ、和田合戦では御所の防衛に活躍。承久の乱では幕府方総大将として叔父時房と共に上洛し、六波羅探題に就いて戦後処理に当たった。父の死後、伯母政子の後援で執権に就任。連署・評定衆を置いて合議政治を掲げ、1232年に「御成敗式目」を制定して武家法の範を示した。晩年は四条天皇の後嗣問題に介入し、朝廷の異論を抑えて後嵯峨天皇を推挙。道理を重んじ、仁政を行った名執権と伝えられる。
ほうじょうやすとき(1183-1242)
鎌倉幕府第3代執権
北条義時の長男。早くから幕府で重んじられ、和田合戦では御所の防衛に活躍。承久の乱では幕府方総大将として叔父時房と共に上洛し、六波羅探題に就いて戦後処理に当たった。父の死後、伯母政子の後援で執権に就任。連署・評定衆を置いて合議政治を掲げ、1232年に「御成敗式目」を制定して武家法の範を示した。晩年は四条天皇の後嗣問題に介入し、朝廷の異論を抑えて後嵯峨天皇を推挙。道理を重んじ、仁政を行った名執権と伝えられる。