橘諸兄の似顔絵

橘諸兄のイラスト

橘諸兄 / 葛城王

たちばなのもろえ / かつらぎのおおきみ(684-757)
奈良時代の皇族・公卿

敏達天皇の後裔・美努王の子。初め葛城王と称し、皇親として朝政に参画。736年に臣籍降下して母の橘宿禰の姓を賜り、諸兄と改名する。藤原四兄弟の相次ぐ病死を受けて大納言、次いで右大臣へ昇進し、玄昉・吉備真備らを顧問に起用。多発する災害や疫病に悩む聖武天皇を補佐し、恭仁京遷都や大仏造立といった鎮護国家政策を推進する。しかし孝謙天皇の時代になると藤原仲麻呂の台頭で力を失い、失言問題が取り沙汰され引責辞職した。

橘は 実さへ花さへ その葉さへ 枝に霜ふれど いや常葉の木

橘は実や花やその葉だけでなく、枝に霜が降る事があっても、
枯れるどころかますます栄える常緑の木である。

「万葉集」
巻第六・第1009番
聖武天皇が橘姓を下賜した時の御製

関連人物

  • 県犬養橘三千代(女官):母。
  • 藤原不比等(公卿):母の後夫。諸兄を引き立てた。
  • 聖武天皇(第45代天皇):諸兄の失言を不問としたが、諸兄自ら辞官した。
  • 光明皇后(聖武天皇の皇后):異父妹。
  • 玄昉(法相宗の僧):政治顧問。
  • 吉備真備(学者・公卿):政治顧問。
  • 藤原広嗣(官人):玄昉・真備の排斥を求め、大宰府で反乱を起こした。
  • 藤原仲麻呂(公卿):政敵。光明皇后の寵愛で台頭し、諸兄政権を圧迫。
  • 大伴家持(歌人):交流。
  • 橘奈良麻呂(官人):子。仲麻呂政権への反乱を企てるが、露見して獄死。

参考資料

  • 菊池容斎:「前賢故実」より

参考リンク

(2016/10/06 改作)

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