吉備真備の似顔絵

吉備真備のイラスト

吉備真備 / 下道真備

きびのまきび / しもつみちのまきび
(695-775)
奈良時代の学者・公卿
称徳朝右大臣

備中国出身。本姓は下道氏。717年に遣唐留学生として入唐し、儒学・兵学・音楽などを学ぶ。735年に帰朝して以後栄進し、僧玄昉と共に橘諸兄政権を補佐。しかし藤原仲麻呂の台頭により筑前・肥前へ左遷され、遣唐副使として再入唐する。帰国後、新羅との関係悪化から筑前に怡土城を築き、764年には造東大寺長官として帰京、藤原仲麻呂の乱では追討軍を指揮して鎮定に貢献。称徳・道鏡政権では右大臣にまで昇り詰め、朝政に重きをなした。

関連人物

  • 聖武天皇(第45代天皇):真備を重用。
  • 光明皇后(聖武天皇の皇后):真備を重用。
  • 橘諸兄(公卿):真備・玄昉を顧問として政権を運営。
  • 玄昉(法相宗の僧):真備と共に諸兄政権を支え、権勢を振るった。
  • 藤原広嗣(貴族):諸兄政権に反発し、大宰府で反乱を起こした。
  • 称徳天皇(第48代天皇):真備を重用して右大臣に抜擢した。
  • 藤原仲麻呂(公卿):政敵。政権奪取を図るが、真備率いる追討軍に誅された。
  • 藤原永手(公卿):左大臣として称徳・道鏡政権を運営。
  • 光仁天皇(第49代天皇):称徳崩御後、永手らとの協議によって擁立。
  • 阿倍仲麻呂(遣唐留学生):同期の留学生。

参考資料

  • 吉備真備銅像(吉備真備公園)
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