平頼綱
たいらのよりつな(?-1293)
鎌倉後期の武将・得宗家執事
鎌倉幕府侍所所司
平盛時の子とされる。父から侍所所司・得宗家執事(内管領)の職を継承。執権時宗に仕え、蒙古襲来期には日蓮や信徒の弾圧に当たる一方、時宗の嫡子貞時の乳母夫として幕府内に台頭する。時宗の死後に有力御家人安達泰盛との対立が激化、幼い執権貞時を擁して泰盛派を滅ぼし(霜月騒動)、幕政を監察する専制支配を行う。しかし成人した貞時に危険視され、鎌倉大地震の混乱に乗ずる形で軍勢に急襲され、自害へ追い込まれた(平禅門の乱)。
関連人物
- 久明親王(第8代将軍):持明院統。頼綱が将軍就任を推進したとされる。
- 北条時頼(第5代執権):偏諱「頼」を与えた。
- 北条時宗(第8代執権):主人。頼綱と泰盛の対立を調停しつつ幕政を運営。
- 北条貞時(第9代執権):主人。頼綱の専横を疎んで粛清し、実権を奪還。
- 安達泰盛(有力御家人):政敵。得宗家の勢力を抑える改革を図り、頼綱と対立。
- 北条顕時(北条氏一門):泰盛の娘婿。霜月騒動に連座して一時謹慎した。
- 少弐経資(鎮西奉行):霜月騒動の余波で、九州の泰盛派を滅ぼした。
- 飯沼助宗(御内人):次男。父頼綱に溺愛され権勢を誇るが、共に滅ぼされた。
- 長崎光綱(御内人):親族。頼綱父子の滅亡後、内管領に就いた。
- 日蓮(日蓮宗宗祖):幕政と他宗を批判したため、厳しい弾圧を受けた。