
田中義一
たなかぎいち(1864-1929)
明治時代~昭和初期の陸軍軍人・政治家
第26代内閣総理大臣
長州藩出身。陸軍大学校卒業後、日清戦争に従軍。日露戦争では満洲軍参謀として出征。山県有朋の下で軍政に携わり、在郷軍人会を設立する。1918年に原内閣の陸相として国防の近代化に着手し、シベリア出兵を遂行。のち政界に転じて立憲政友会総裁に就き、27年に首相となる。山東出兵などの対中強硬外交を展開し、内政では治安維持法の強化や共産党の弾圧(三・一五事件)を行った。しかし張作霖爆殺事件の処置に窮して総辞職、その直後に急死した。
関連人物
- 山県有朋(元老):長州閥の首領。田中を引き立てた。
- 原敬(第19代首相):田中が陸相として入閣。
- 山本権兵衛(第22代首相):田中が陸相として再任。
- 高橋是清(蔵相):モラトリアムを実施し、金融恐慌を沈静化。
- 鈴木喜三郎(内相):特高警察の強化と治安維持法の改定を実施。
- 久原房之助(逓相):久原鉱業・日立製作所などを創業した実業家。
- 岡田啓介(海相):後に首相となる。
- 森恪(外務政務次官):山東出兵や東方会議開催など対中強攻策を推進。
- 張作霖(奉天軍閥総帥):日露戦争時からの旧知の間柄。
- 昭和天皇(第124代天皇):張作霖爆殺事件の責任問題について田中を叱責。