和気清麻呂の似顔絵

和気清麻呂のイラスト

和気清麻呂

わけのきよまろ(733-799)
奈良時代末期~平安時代初期の官人・公卿

備前国出身。称徳天皇の官人として仕える。769年の宇佐八幡宮神託事件では勅使として参宮し、帰朝後に「皇位には皇族を立てるべし」との神託を奏して道鏡の即位を阻止。しかし、称徳・道鏡の怒りを買い、別部穢麻呂と改名のうえ、大隅国への流罪となった。道鏡失脚後、光仁天皇によって復帰し、続く桓武朝では民部卿として庶政を刷新。長岡京造営後も災害や事件が相次いだ事から再遷都を建言し、造営大夫として平安遷都事業に携わった。

関連人物

  • 称徳天皇(第48代天皇):寵愛する道鏡の即位を阻まれ、清麻呂を左遷した。
  • 光仁天皇(第49代天皇):清麻呂を配所から召還して復帰させた。
  • 桓武天皇(第50代天皇):清麻呂を重用し、平安京遷都を行った。
  • 孝明天皇(第121代天皇):清麻呂を讃えて「護王大明神」の神号を贈った。
  • 道鏡(法相宗の僧):称徳朝の法王。宇佐八幡の神託で皇位を望んだとされる。
  • 藤原百川(公卿):配流された清麻呂を支援。
  • 菅野真道(公卿):造宮亮として清麻呂と共に平安遷都事業を推進。
  • 和気広虫(女官・尼僧):姉。勅使の役目を清麻呂に代行させた。
  • 和気広世(官人・学者):長男。一族の教育機関「弘文院」を設立。
  • 和気真綱(官人):五男。兄弟で最澄空海を庇護した。

参考資料

  • 朝倉文夫:「和気清麻呂像」(和気神社)
  • 菊池容斎:「前賢故実」より

(2016/10/13 改作)

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