孝謙天皇の似顔絵

孝謙天皇のイラスト

阿倍内親王 / 孝謙天皇 / 称徳天皇

あべないしんのう / こうけんてんのう / しょうとくてんのう
(718-770)
第46・48代天皇

聖武天皇と光明皇后の皇女。史上唯一の女性皇太子を経て、父帝の譲位により32歳で即位(孝謙天皇)。橘奈良麻呂の乱後に上皇となるが、看病に侍した僧道鏡の処遇などを巡って淳仁天皇・藤原仲麻呂と対立、出家した上で自ら執政すると宣言する。764年、仲麻呂の乱を機に淳仁を廃して重祚(称徳天皇)。道鏡を太政大臣禅師、さらに法王とする二頭体制を確立して仏教政策を推進。晩年には道鏡の皇位継承を巡る宇佐八幡神託事件が起こった。

朕は女子ながら皇太子となり、皇位を継いで政を行ってきた。そして今の帝(淳仁天皇)に譲ったが、帝は朕への礼を失するばかりか、言ってはならない事を言い、してはならない事をしてきた。言いがかりをつけられるのは朕の不徳の致すところだが、これも菩提心を起こす機縁と思い、ここに出家した。ただし政については、日々の祭祀と小事は今の帝が行い、国家の大事と賞罰は朕自らが行うものとする。

「続日本記」
巻第二十四 淳仁記
天平宝字6年(762年)6月3日の詔(意訳)

関連人物

  • 聖武天皇(第45代天皇):父帝。妻女と共に東大寺大仏の開眼法要を挙行。
  • 光明皇后(聖武天皇の皇后):母。皇太后として孝謙の治世を後見。
  • 安積親王(聖武天皇の皇子):異母弟。孝謙立太子までの対立候補だったが早世。
  • 淳仁天皇(第47代天皇):道鏡の寵愛を咎めた事で対立。後に帝位を追われた。
  • 不破内親王(皇族):異母妹。天皇呪詛の誣告により、一時追放された。
  • 和気王(皇族):称徳の後継皇位を望んで謀反を企むが、発覚し抹殺された。
  • 橘奈良麻呂(公卿):仲麻呂打倒・新帝擁立のクーデターを図るが失敗。
  • 藤原仲麻呂(公卿):当初は親密だったが、道鏡の台頭を機に対立。
  • 道鏡(法相宗の僧):孝謙を看病した功で寵愛を受け、権勢を振るった。
  • 吉備真備(学者・公卿):側近。皇太子時代からの教授・補佐役。
  • 和気広虫(女官):側近。清麻呂の姉。
  • 和気清麻呂(官人):勅使として宇佐八幡へ赴き、道鏡の皇位継承を阻止。

参考リンク

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