桓武天皇の似顔絵

桓武天皇,柏原天皇のイラスト

桓武天皇 / 山部親王

かんむてんのう / やまべしんのう
(737-806)
第50代天皇

光仁天皇の第一皇子。母方が百済系氏族のため皇位継承者ではなかったが、藤原百川らに支援されて45歳で即位。平城京から長岡京への遷都中、藤原種継の暗殺に絡む凶事や災害が相次ぎ、794年に平安京へ改めて遷都する。勘解由使を置いて地方行政を監察させたほか、健児を設けて軍縮する一方、東北の蝦夷を服属させるため坂上田村麻呂を征夷大将軍として派遣。しかし晩年に藤原緒嗣の建言を受け、建都と征討の二大事業は中断された。

その徳は高くそばだち、その姿は高く抜きん出ていた。
詩文は好まなかったが、その威徳は遠くまで照らした。
即位後は政治に心して励み、内には建都、外には征夷を行う。
その治世は多くの出費をともなったが、後の世の礎となった。

「日本後紀」巻第十三
大同元年(806)4月7日条

関連人物

  • 光仁天皇(第49代天皇):父帝。天智天皇の孫。
  • 他戸親王(光仁の皇太子):異母弟(天武系)。母后の咎に連座して廃された。
  • 早良親王(皇太子):同母弟。藤原種継暗殺事件に連座して廃された。
  • 平城天皇(第51代天皇):第一皇子。
  • 嵯峨天皇(第52代天皇):第二皇子。
  • 淳和天皇(第53代天皇):第七皇子。
  • 藤原百川(公卿):山部(桓武)の擁立に深く関与したとされる。
  • 藤原種継(公卿):百川の甥。長岡遷都を主導するが反対派によって暗殺。
  • 和気清麻呂(公卿):平安遷都を建言して造営の責任者となった。
  • 坂上田村麻呂(武官):征夷大将軍として蝦夷を平定。
  • 藤原緒嗣(公卿):百川の子。菅野真道と論争し、建都・征討事業の中止を建言。
  • 最澄(天台宗の僧):桓武の内供奉となり、のち遣唐留学僧に選ばれた。

参考資料

  • 桓武天皇像(平安神宮蔵)
  • 桓武天皇像(延暦寺蔵)

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