柳沢吉保
やなぎさわよしやす(1658-1714)
江戸前期の幕府側用人・大名
柳沢氏甲府藩初代藩主
館林藩士柳沢安忠の子。幼少から同藩主徳川綱吉に仕え、綱吉の将軍家相続に伴って幕臣に加わり小納戸となる。以後、頻繁に加増と昇進を重ねて側用人となり、川越藩7万石、のち甲府藩15万石を拝領。大老格として幕政を主導し、荻生徂徠を登用するなど文治政治を推進。綱吉没後に家宣が6代将軍に就くと、隠居して駒込の別邸「六義園」で余生を過ごした。破格の出世を遂げたために悪評もあったが、誠実な人柄で領民からも慕われていたという。
関連人物
- 徳川綱吉(第5代将軍):主君。偏諱「吉」を与えて寵愛した。
- 武田信玄(甲斐の大名):吉保が敬慕していた(吉保の祖父は武田遺臣の出)。
- 霊元法皇(第112代天皇):吉保の参禅禄の題を授けた。
- 北村季吟(歌人・俳人):歌道の師。
- 荻生徂徠(儒学者):侍講。
- 細井広沢(儒学者・書家):儒臣。
- 浅野長矩(赤穂藩主):元禄赤穂事件の当事者。
- 吉良義央(高家旗本):元禄赤穂事件の当事者。
- 紀貫之(歌人):「詩経」に倣って和歌の六種の風体「六義」を定義。
- 岩崎弥太郎(三菱財閥総帥):荒廃していた六義園を復旧させた。
参考資料
- 狩野常信:柳沢吉保像(一蓮寺蔵)
(2011/11/23 改作)