足利義政 / 足利義成
あしかがよしまさ / あしかがよししげ
(1436-1490)
室町幕府第8代将軍
足利義教の三男。兄義勝の早世により8歳で将軍となり、近臣の補佐を受ける。当初は徳政や関東対策などに意欲的だったが、幕閣の分裂と側近の失脚によって政務は難航。のち弟義視を実子義尚までの将軍継嗣とするも、管領家の家督争いや諸大名の抗争が複雑に絡み、1467年に応仁の乱が勃発する。打開策を講ぜずに大乱を泥沼化させ、うやむやのままに終戦。隠居後は銀閣に代表される東山文化を築く一方、なおも大御所として幕政に関与し続けた。
応仁元年(1467)、天下は大いに乱れ、これより長らく五畿七道はことごとく戦乱となった。その原因は、将軍義政公が徳の備えた管領に天下の政務を任せなかった事にある。
…天下が破れるなら破れよ。世間が滅びるなら滅びよ。他人はどうであれ我が身さえ富み栄えれば良い、他人より一際きらびやかに振る舞おうという風潮になっていったのである。「応仁記」巻頭
関連人物
- 足利義教(第6代将軍):父。嘉吉の乱で播磨赤松氏に暗殺された。
- 日野富子(将軍御台所):正室。夫婦仲は険悪だった。
- 足利義視(足利氏一門):異母弟。僧籍にあったが、還俗して将軍後嗣となった。
- 足利義尚(第9代将軍):次男。隠居後も幕政に口出しする義政と確執を抱えた。
- 足利成氏(古河公方):偏諱「成」を賜るが、享徳の乱を起こして幕府と敵対。
- 足利政知(堀越公方):異母兄。成氏への対抗策として関東に下った。
- 後花園天皇(第102代天皇):趣味に溺れる義政に漢詩を贈って諌めた。
- 伊勢貞親(政所執事):乳父。季瓊真蘂と共に側近として重用された。
- 山名宗全(但馬守護):応仁の乱・西軍総大将。
- 細川勝元(管領):応仁の乱・東軍総大将。
- 狩野正信(絵師):義政の庇護を受けた御用絵師。狩野派の始祖。
- 後藤祐乗(金工):義政の庇護を受けた刀装金工。後藤家の始祖。
参考資料
- 足利義政木像(等持院蔵)
(2017/03/05 改作)