足利義尚 / 足利義煕
あしかがよしひさ / あしかがよしひろ
(1465-1489)
室町幕府第9代将軍
足利義政と日野富子の次男。誕生後、先に将軍継嗣と定まっていた叔父義視を排斥する動きが生じた。応仁の大乱の最中、9歳で将軍に就任。長ずるに及び幕政に介入する両親から自立、将軍親裁と奉公衆を重用した側近政治を進める。1487年、寺社本所領や奉公衆領を横領していた近江守護六角行高の征伐を決め、幕府権威の復興を目指した。しかし、近江鈎での陣中で次第に酒色に溺れ、25歳の若さで病没。歌才に優れ、自ら新百人一首を撰している。
今日ばかり 曇れ近江の 鏡山 旅のやつれの 影の見ゆるに
今日くらいは曇ってくれ、近江の鏡山よ。
皆に旅の疲れの様子が見えてしまうではないか。「塵塚物語」
炎天下の在陣での詠歌
関連人物
- 足利義政(第8代将軍):父。隠居後も幕政に容喙し、義尚と確執を抱えた。
- 日野富子(義政の正室):母。大御台所として幕政に影響力を持ち続けた。
- 足利義視(足利氏一門):叔父。義尚時代は美濃土岐氏のもとで逼塞した。
- 日野勝光(公卿):外伯父で岳父。新将軍代として幼少の義尚を補佐。
- 伊勢貞宗(政所執事):養育係。各種の交渉・調停・仲介役として奔走。
- 一条兼良(公卿):義尚に歌道や政道を講じた。
- 細川政元(管領):義尚の側近重用と六角征伐に反発し、次第に距離を置いた。
- 大館尚氏(奉公衆):側近。偏諱「尚」を賜るなど、義尚から重用された。
- 伊勢盛時(奉公衆):北条早雲の前身。政所執事伊勢氏の傍流の出。
- 斯波義寛(尾張守護):旧領越前の回復を認めてもらうべく六角征伐に参陣。
- 六角行高(近江守護):義尚の死で近江親征が中止になり難を逃れた。
参考資料
- 狩野正信:「足利義尚像」(地蔵院蔵)
参考リンク
- 足利義尚の歌(やまとうた)
- 足利義尚選定「新百人一首」(同上)