明菴栄西
みょうあんえいさい / ようさい
(1141-1215)
平安時代末期~鎌倉時代初期の僧
日本臨済宗開祖
備中国出身。俗姓は賀陽氏。社家の出ながら比叡山へ入り天台密教を学び、やがて形骸化していた仏法の復興を志し、1168年と87年の2回宋へ渡って臨済禅を修めた。帰国後は九州や京で布教するが、叡山衆徒の圧迫を受けて鎌倉へ拠点を移し、幕府の庇護のもと寿福寺を建立。1202年には京で建仁寺を創建し、天台・真言・禅の三宗兼学の道場とした。主著「興禅護国論」で戒律を基礎とした禅を説いたほか、「喫茶養生記」では喫茶を奨励した。
関連人物
- 重源(浄土宗の僧):宋で滞在中に交流。
- 明恵(華厳宗の僧):栄西から宋の茶種を贈られ交流。
- 慈円(天台座主):栄西の権力追従の姿勢を批判した。
- 後鳥羽天皇(第82代天皇):博多聖福寺に「扶桑最初禅窟」の号を与えた。
- 北条政子(尼御台):庇護者。鎌倉寿福寺の開基。
- 源頼家(第2代将軍):庇護者。京都建仁寺の開基。
- 源実朝(第3代将軍):栄西から茶と「喫茶養生記」を献呈された。
- 退耕行勇(臨済宗の僧):寿福寺の弟子。
- 明全(臨済宗の僧):建仁寺の弟子。道元の師。
- 白隠慧鶴(臨済宗の僧):中興の祖。
参考資料
- 栄西禅師像(建仁寺両足院蔵)
(2017/10/14 改作)